エイプリル・フールにはまだ1カ月も早い、3月1日(月)のこの日、昨日起こった地震や津波が嘘のように、冬季オリンピック(パラリンピックはまだだが)は閉幕し、inachans的にはいよいよWorld Cup突入モードである。
なそんな春めいた日の午後(午前中は何だかんだ言いながら仕事相談などしていた)、遅いランチ&コーヒー&読書タイムを満喫した後、天候が少し怪しいグレーな空模様をしているにも関わらず、何気に「ぷら~っと」歩きたくなった。
しかも、もう既に夕方に差し掛かっている時間帯にも関わらず。
そのコースを辿ったのは偶然なのか必然なのか分からないが、とある坂道を登り始めた。
数分も坂を登ると、右手に「こんもり小山のような」樹木が生い茂る公園と「道案内の看板」が現れ、その看板を確認。
公園を沿うように道路や歩道があるので、そちらを歩こうと考えていたのだが、何故か公園内を散策できるコースを選んでいる自分がいた。
こんな感じだったっけ?と少し驚きながら、樹木の生い茂る少し薄暗い中を歩を進め散策を楽しんでいたのだが、何か懐かしさと怖さみたいなものを少し感じ取っていた。
公園内には、短歌の碑や何とかの塔の由来とかを拝見しつつ散策していた刹那、「驚きと怖さと記憶の断片の交差」が入り混じった感覚が襲い始めた。
そう、数年に一度、いや20代位までは結構見ていた「夢」に出てくる光景がそこにあった。
よく夢に見る光景、何故かそこに居て誰かが一緒なのだけれど思い出せず、楽しいのか寂しいのか分からない感覚、そうそう、ここはこうなっていて、ここを行くと、そう!ここに出て...ってな具合。
正直に言うと「懐かしい」というよりも「怖さ」の方が増していて、少し早歩きになっていたのは事実。
気を取り直して、その公園を抜けると道路ともう一つの公園を結んでいる小さな橋が。
この橋はすご~く懐かしい感じがして早速、渡りもう一つの公園へと出るはずが、現在公園改修工事中につき立ち入り禁止。
懐かしいはずのその場所は工事車両と完成様相図の看板で代無しとなっていた。
幸いなことに、象徴的な「展望台」と「東京オリンピックの記念碑(バレーボール、蹴球、バスケットボールが横浜で開催された記念)」は壊されず残っていた。
懐かしさも半減したものの少し気分も良くなっていたので、このまま歩を進めた。
だがしかし、何故か通る道をもう決めているかのように勝手に、ではあるが。
歩を進めると幼少のころからあったはずと思われる「パンやお菓子、日用品などなんでも売っているような店」が目にとまったり、確かこの先に小学校がと思った場所にそのまま小学校があり、その先に分差路に出くわす、迷わずに右じゃなく左と勝手にずんずん進んで行く。
正解のと言うに「とうふ屋」の看板にも見憶えがあったりと思った瞬間、また「よく夢に見る光景」の街の小さな「食料品スーパーもどき」が現れた。
夢に必ず出てくるその店は「何故か買い物する羽目になる」なのだが、良く覚えていない。
また少し怖くなって早歩きでそこを通り過ぎた。
気分を切り替え散策気分を取り戻し、歩を進めたところで、またまた「よく夢に見る光景」に出くわした 。
実際そこは小さな郵便局があり、橋(昭和3年に掛けた橋と書いてあった)が掛っていて、その下に大きな道路が通っている。その橋の下にバス停がある。
ただ、夢の中では、橋の渡る手前にある郵便局の前にバス停があって、何故かバスの乗り換えの起点となっている。そこで乗り換えて何処かに行くって感じなのだ。
そそくさとそんな夢を思い出しつつも進むと「20数年間時が止まっていた」かのような光景を目の当たりにすることとなる。
それは、橋を渡ってすぐのところにあった。右手に小さな脇道が見え、そこの脇道へ入ると「質屋」の看板が。
もうこれは昭和30年代に取り付けたであろう看板と店主らしきご老人と目が合う。
「うぅ~」としか言いようがない。時が止まったかのような光景が広がる。
そんな気分を和ましてくれる「春の息吹」を拝見できたのは、2~3件隣の庭に咲く「梅の花」。
これにはさすがにこれぞ散策って感じで和んだ。
そこから少し行くと公園があるはず!と少し歩を早めた、「確かにあった」のだが様変わりし綺麗になっており、脇にあった教員住宅は既に無く「幼稚園らしきもの」に変貌していたのには少し寂しさを覚えた。
そんな公園脇の道には行かず、もう一本脇道があるのでそちらに歩を進めると「旧友宅」がまだあり、これぞ懐かしい限りの心持になった。
そのまま、大きな通りに出て、右折し少しいや微妙な坂道を登る感じで歩を進めた。
左手には、幼いころあったはずの「銭湯」は無くなりマンションに変貌、その近くの酒屋はまだ「名前も変わらず」営業していたが、少し先にあった駄菓子屋や熱帯魚屋は廃業していた。
交番前の脇道を左に折れ、この後、約80%近く20数年変わらない場所へとタイムスリップするのである。
確かここのアパートの階段(中に浮いているように見える)変なんだとか、ここの垣根まったく変わっていないとか、小学校の頃、集団登校の集合場所であり遊び場だった場所の変化の乏しさを感じつつ、集合場所の前にあるちっとも綺麗になっていないデコボコ階段へ。
そんな階段を楽しみながら降り、右に1件ほど歩くと直ぐそこには昔懐かしい元実家があった場所に辿り着く。
少し、覗いてみるとそこは更地になっており、柵が設けてあって入れないようになっていた。
もしかすると、今日はここへ来るためにこんな変なコースを歩く羽目になったのではないだろうか。
この場所を確認するためになのだろうか。
少し後ろめたい気分を残しつつ、元実家があった場所を後にして、目の前に広がる恐ろしくも急な坂を下って行く。
確か、直ぐ側に「自動販売機」があったはずなのだが、跡形もなく消え去っていた。
家から最も近いその「ジュースを買う機械」は、「花」が植えられた場所となり、そんなものは元から存在しなかった様な佇まいをみせつける。
また少し下ると、右側に脇道の坂が見え、そこへ登って行けば「旧友宅」があるはずなのだが気持はそちらには向かない。
無視してずんずん下って行くと左手には「うずくまるノラ猫」の姿。
猫は人が近づいたのが嫌だったのか、脇道にそそくさと逃げ消えていった。
細い路地裏のごとく奥に続いているそこは「ここも時が止まっている」感じをかもしだしている。
路地のすぐ側には、「ガラクタが置かれている野ざらし」駐車場が変わらず鎮座し主の車をただ待っている様だ。
ガラクタの数は増えているのだろうか、それとも少しは整理されたのかは分からない。
ただ、古めかしい「ブラウン管TV」の残骸が「昔からここにあるよ」と何かを訴えているような気がしたのは気のせいだろうか。
駐車場を後に、坂道は左へと曲がるのだが、角にあった少し洒落た個人宅は「何とかコーポ」の様相をみせるものへ変わっており、その曲がり角にあるミラー(凸面鏡)は相変わらずポールが曲がったままの状態で、坂を昇り降りする車や歩行者をにらみつけるがごとくそこにたたずんでいた。
角を曲がって直ぐ、左手側に家屋があったと思われる場所が見えた。
最近であろうか更地になっていて、関東ローム層の赤土を剥き出しにしたままの状態で放置されている感じがした。
もう、坂も終わりに近づいた辺りに、もう何年人が住んでいないのか分からない位のくすんだピンク色っぽい廃屋が顔を覗かせた。
記憶の断片はそのまま20数年変わらない「廃屋」風景に暫く釘付けとなり、今日もっとも「ここだけ完全に時間が凍結されている」と感じた。
坂も下りきったところで、T字路を左に向かう。
暫くすると「米屋」だった店舗は廃業、まれに電車で会う旧友の実家「薬局」は健在ではあったが近くの駄菓子屋は跡形もなく消え去り、反対側にはさも分譲住宅張りの家並み風景を眺めながら、幼少から変わっていない古本屋へとたどり着いた。
儲かっているのか?なんて思いながら、隣の雑貨屋が健在なのがまた嬉しい。
その前はもう様変わりしており、小さな商店が沢山集まった小さなアーケードは消え去り、マンションがそびえ1階は訳の分からない店舗へと変わっていた。
少し脇道を覗くと中学生のころ立ち寄った「お好み焼き屋」の赤い看板だけ残っており廃業したのだろうかシャッターは閉まっていた。
脇道を戻って、抜けると商店街の目抜き通り(寂れてはいるが)、駅へ向かう道と商店街の終了場所へ続く道へと枝分かれするのだが、その分岐する場所には「生肉店」が変わらずその名前で営業しており、お客さんも沢山いるような繁盛ぶりを見せていた。
って感じで今日は音楽もサッカーもお酒も全く関係のない「散策記」で終わり。
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